太陰暦の頃と人の食

山人の独り言 富士宮ネット新聞

日本は明治五年まで太陰太陽暦だった。今から百三十年程前である。つまり、それまでの約千二百年間は太陰太陽暦が日本の文化であり、生活の基本だった。太陰暦は月の満ち欠けの周期二九、五三日を基準にするので、十九年に七回一年が十三月になってしまう。そこで、閏月(うるうづき)と呼んで同じ月を二回つくって調整して太陽暦に合わせた。昨年の例だと、一月、二月、閏二月、三月~十二月だった。面倒だが自然界には合っていると言われ、農事暦とも言われた。

旧暦は一~三月が春、四~六月が夏、七~九月が秋、十~十二月が冬になっている。昨年暖冬と言われた十一月頃は、旧暦ではまだ十月で冬になったばかり、雪の年末頃が十一月の下旬で冬が本格化する頃、真冬の十二月は太陽暦の一月になる。今年は二月九日が旧暦の一月一日になり、そこから春が始まる。春の七草もそろそろ出てくる頃で、年賀状に新春と書くのも納得できる。
太陽暦の一月はまだ真冬で七草どころではない。旧暦で米を育てると、種をまく時は暖かくビニールハウスは不要。田植は六月になる。四十年程前までそうだったように記憶する。

今は昔のことでも教えられる事が多い。七草のような野草は血液をサラサラにする働きがある。

正月休みで御馳走を食べたから、正月の終わりに七草がゆをたべるのである。春には、ふき・ワラビ等野草を採って食べる習慣がある。冬には汗をかくこともなく、食べ溜まっているので、野草で血液をサラサラにする。体がそれを望むから野草をおいしく感じる。 採るためには山野を歩くから汗もかく。汗もかかずにおいしい物だけ食べてはいけない。「もち」には、肝臓、腎臓の働きを助け浄化する働きがあると正食医学は教える。だから正月は素朴な雑煮で新年を祝い、一年の健康を願う。旧暦で生きてきた人々には、今のような科学知識はなくとも知恵があった。わずか百三十年の太陽暦で、科学知識や理論は手にしたが、ヒトの生活や生命に合わないことが多くなってきたような気がする。まあ、富士山の麓に生まれ育った山人の独り言です。

富士山人 Y・O

このコラムは2004年から、ふじのみやふぁいるずで掲載されたコラムを再掲したものです。時代とともに背景も変わってきていますので、その点を考慮の上、読んで頂けましたら幸いです。

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